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概要

ASAP2020vol_2

株式会社夕月 平安時代に発刊された「類聚雑要抄」は、宮中の恒例・臨時の儀式、行事における調度について詳しく記載された古文書である。永久三年(1115年)七月廿一日戌子、関白右大臣、東三條へ移御の際における祝宴の高坏の図には、「蒲鉾」の文字と絵が記されている。しかし、当時の蒲鉾は焼き竹輪のようなもので、現在の主流である蒸しかまぼこが登場するのは江戸時代末期のことである。このように古来より日本の食文化に深く関わってきた蒲鉾は、長い間、結婚式などの特別な機会に供されるものとして認知されてきたが、1960年代、高度成長期の頃には、日本の家庭の食卓に欠かせない身近な存在となった。そしてその定着に大きな役割を果たしたのが福島県いわき市を拠点とする「株式会社夕月」である。同社では創業者の「どこよりもおいしいかまぼこを作りたい」という志と伝統の製法を受継ぎ、時代の変遷、未曾有の自然災害などを乗り越えて、現在新たな価値創出を目指した企業経営を推進している。今後更なる高齢化社会の進行と共に市場の縮小、更なる競争の激化が予測される中、既存の概念を打破して、利益体質の企業への変革をいかに図るのか?現場の意識を変え、次世代を担う人材の育成をいかに進めるのか? 関係者へのインタビューを元に、同社の取組みを製造現場で利益を生み出す意識改革のケーススタディとして紹介する。生産性向上活動による更なる利益獲得と人材育成の実現 株式会社夕月の創業は昭和26年(1951年)、当初は北洋漁業の一大拠点として栄えていた江名港の北口で、水揚げされた魚を原料として、干物に加工し販売を行っていたが、その後江名港前に移転。その場所でかねてからの念願であったかまぼこ事業を本格的にスタートした。初めは家内工業的に展開していた事業であったが、昭和30 年(1955 年)には現在本社がある泉へ拠点を移し、かまぼこ事業では後発であったにも関わらず、味の良さが認められて、築地市場で取引が始まり、東京の魚屋で販売されるようになっていた。当時はまだ手作りで、石臼で練り上げたかまぼこを、蒸篭で蒸して作っていたが、昭和37年(1962 年)頃には手作りでは間に合わない状況となり、売上も飛躍的に伸びていたことから、当時開発されたばかりの洋上すり身を原料とし、かまぼこ生産の機械化を行うことを決断した。生産方法はリテーナ成形法という大量生産が出来る画期的な方法で行うことになった。しかし、当時、この生産方法が常磐地方にはなかったため、現在の代表取締役社長 清水 淳子氏の父親、2代目栄安氏が、すでにリテーナ成形法で生産を行っていた新潟のかまぼこメーカーを視察し、これを01 かまぼこを家庭の日常食へ。既存の概念を打破した経営戦略AC T I V I T YR E P O R T活 動 レ ポ ー ト11