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概要

ASAP2020vol_2

COMPANY INTERVIEWを手仕舞いするとは考えていなかった為、当時の経営陣もかなりの戸惑いはあったと思います。売上の殆どを占めるお客様からそう言われたのだから、言われた通り一緒に海外に出て工場を立ち上げるしか道はないのではないかと、当時はそれなりの逡巡もあったと思いますが、冒頭で申し上げた通り、同じ県内の鹿沼工場でさえマネージメントし切れず工場を1ヶ所に集約したような当社が、海を隔てた場所に工場を立ち上げてもまともに管理できる筈がない、それどころか決して潤沢ではない経営資源を海外工場に振り分けることになれば、日本側も立ち行かなくなっていずれ共倒れになる、というのが最終的な経営判断でした。 この時は、N圧電機様の時の様な短期スパンの話ではなかったので、営業ターゲットをそれまでの電機業界から自動車業界に切り替え、紆余曲折はありましたが3~5年ほどの時間をかけて、現在のメイン顧客であるS工業様へとお客様のシフトチェンジを行うことが出来ました。 皮肉なことに、当社のA社様への売上減少と歩調を合わせる様に、A社様の経営に翳りが見え始めました。経営不振に陥った理由は私にはよくわかりませんが、当社のA社様の比率が50%を切ったあたりから、A社様の経営陣は全て親会社のS社様からの出向者で占められるようになり、そのメンバーが毎年のように入れ替わる、というような状況になっていったようです。A社様向けの当社売り上げが0になって程なく、A社様はS社様に吸収合併され、殆どの工場が閉鎖されてしまいました。 たらればの話になりますが、もしこの時、A社様に言われるがままに当社も海外展開していたらどうなっていたかと考えるとちょっと恐ろしくなります。実際にA社様と一緒に海外進出して一緒に倒産された下請けさんも多くいらっしゃった、という話を聞いたこともありますが、当時の経営陣が、自社の置かれた状況と力量を冷静に把握し、的確な判断をしてくれたことに感謝したいと思います。 そして4度目の危機に当たるのが、2010 年にメイン顧客のS工業様より頂いた告知から現在に至るまでです。S工業様も海外展開を精力的に展開している会社なのですが、当時はノックダウン形式が主流で、部品は日本で調達し、組み立てだけを海外で行うという形を取っておられました。当社の部品も、日本でご購入頂き、それをS工業様が海外に輸出するという形だったので、実は相当量が海外で使われていたのですが、当時当社としては海外向けの仕事をしているという意識は強くありませんでした。そんなある時、S工業の役員様がお見えになり、「当社の方針として、部品の現地調達を強力に推進してゆくことが決定した。今後、海外工場が現地で調達できる物は可能な限り現地調達化してゆくことになる。光工業に出せる仕事も、5年後には今の半分くらいになってしまうと思って欲しい」と言われました。S工業様からは、それ以前に幾度となく海外進出の要請を受けていたにも拘らず、当社が頑として応じて来なかったので、このような宣告を受けるのはある意味やむを得ないことであったとは思います。 この宣告を受けた翌年はまだ業績好調だったのでほっと胸をなでおろしたのも束の間、2年後の2012 年頃から少しずつその兆候が見え始めました。S工業様への売上が対前年で毎年10%前後ずつの減少を始めたのです。売上半減を宣告された5年後に当たる2015年度時点では、まだ半減にまでは至っていませんでしたが、それでも2011年売上比で67%と、かなりの比率にまで落ち込み、しかもその減少傾向に歯止めがかかる気配もありませんでした。 売上占有率95%を超えるお客様向けの売上がそんな状態ですから、当社全体の売上も毎年右肩下がりに大幅な下落を続けました。2011年当時には39 億円あった年商が、2015 年には28.4億円と、72%程度にまで落ち込みました。プレス屋としては破格ともいえる15%前後あった営業利益率も、売り上げの減少に応じて下がり続け、この2015年時点では0.3%とほぼ収支トントンのラインにまで落ち込んでしまいました。 当然ながら当社としてもその間ただ手を拱いていたわけではなく、多額の設備投資を行って従来のプレス加工の常識を覆すような技術の開発・習得に努めたり、大型新規顧客の開拓に奔走したりして、一定の成果を上げて来てはいました。ただ、毎年10%ずつ減少を続けるS工業様の売上減少分を穴埋めできるほどの受注量は確保できなかったばかりか、やっと頂いた新規のお客様からのご注文に関しても、これまでのお客様からは要求さ3