ブックタイトルASAP2020vol_2
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ASAP2020vol_2
でもその傾向がないわけではないのですが、それでもコンサルティングを長く受け続ける中で、少しずつですが意識も改善されてきたように思います。 もう一つ、私自身はリーマンショックの年に入社したのですが、それ以降東日本大震災やタイの洪水、尖閣諸島問題による中国との軋轢など、毎年のように何かしら深刻な社会問題が発生しながらも、ずっと堅調に推移していた業績が、そういった社会的要因が無いにも関わらず2012年以降急落してきていることや、先を見越して打った筈の手が全て裏目に出ているような状況に、すっかり自信を無くしていたということもありました。単なる現場改善ではなく、私自身の経営姿勢・方針の立て方も含めてご指導頂きたいという気持ちもあったと思います。◆製造部門としてコンサルティングの導入をどのように感じていましたか?山賀氏 当時は全社的に閉塞感のようなものがあり、「何とかしなくては」という思いは社員も持っていたのですが、具体的にどのようにしたらいいのかがわからない状況でした。ただ、それまでもQC活動など、様々な改善活動に取組んできた経緯はあったので、全く何も知らないということではありませんでした。そういう意味では大きな抵抗感などはなく、コンサルティング導入に関しては比較的スムーズに受け入れたように思います。◆開発部門としてはどのような印象をお持ちでしたか?手塚氏 最初は正直意味があるのかなという気持でした。自分達の中ではすごく頑張っている感覚を持っていて、目の前の赤字ではなく、経営に関する2、3年の中期的な見通しも聞いていたので、コンサルティング会社を入れなくても自分達で何とかなるのではと考えていました。現在自分は開発の責任者という肩書きですが、当時は金型の設計で3人の課長のまとめ役として、金型全体を見ていました。 コンサルティングが始まって橋本さんから一番言われたのが、日程管理の具体性が無いということ。当時は自分が全てを管理していて、課員それぞれが何日までにどの仕事をこなさなければいけないというのが自分以外には見えていない状況でした。自分としては毎日色んな人に声をかけて把握しており、それで問題ないと思っていたのですが、橋本さんから、「手塚さんがいないときはどうやって把握するのですか?」と言われ、日程管理表を作るようになりました。正直、最初は嫌々で、漠然とした表での日程管理でしたが、コンサルティングを通じ、少しずつブラッシュアップしていくことで、一人ひとりと話をしなくても表を見ることで、個人的なその日の目標、1週間の目標、1ヶ月先の目標、2ヶ月先の目標、というのが見えるようになって、みんなが動きやすくなりました。これまでは課員それぞれが、一々上司に指示を求めていた仕事が、「何をやりますか?」ではなく、「これでいいですよね?」という風に変わっていったのかなという気がします。技能・技術を教わるわけではないですが、みんながやらないといけないことはわかっていたけれど出来ずにいたことを、コンサルタントが入ることで出来るようになってきた。最初はやらされ感もあったのですが、今は自分が導入当初にやっていたものと比較すると非常に細かな日程表になっていて、色んな管理をしながら、全員が自主的に進めている感じがします。金型の場合はコンサルティングの一番大きな成果はそれだったのかなと思います。◆総務部門としてはどのような印象をお持ちだったのでしょうか?木村氏 私が入社したのはテクノ経営さんの指導が始まった後なので、初めは自分がどのように振舞えば良いのかわからない部分がありました。総務の仕事というのは製造や品質と直接的に結びついているところが少ない為、ややスタンドアローンのところもあるので、直接的な改善テーマに入っていない部分もあります。しかし、コンサルタントの指導で全社とし製造部 部長山賀 秀徳 氏開発部 部長手塚 崇夫 氏取締役 総務部長木村 嘉久 氏光工業株式会社6