今年は丑年である。牛に関連して、中国・宋代の禅書に『十牛図』というものがある。十枚の絵と漢文で表現された書だが、ここでいう牛とは「自分自身の心」を指す。自分という存在は、実は周囲や他者に左右されているのではないか。そこで本当の自分を探して旅に出るわけである。最初は牛の姿はまだ見えない。しかし、そのうちに牛の足跡が見つかり、ついにシッポが見えてくる。そして牛を捕まえ、背中に乗って帰郷する。絵はまだ続く、やがて家に帰ったが牛のことを忘れてしまう。そして、無為自然のうちにまた最初にもどり、高齢になったが自分が道を尋ねる若者と話している図で終わっている。
『十牛図』のテーマは自分を探すことだったが、昨年来のコロナ禍において自由な意見が言えない逼塞感が社会に漂っている。
演出家の鴻上尚史氏と「世間学」で知られる九州工業大学の佐藤直樹氏が対談する『同調圧力』という本が売れているのもその表れではないだろうか。ここでいう「同調圧力」とは、職場や地域社会などで多数派の意見に従わせる暗黙の強制力をさす。目に見えない不安や恐怖から、疑心暗鬼になっている。たとえば感染者を出した企業や店舗がネットで炎上、誹謗中傷される。マスク着用なしで外出する人を許さない、自粛を促す相互監視的な世間の眼のことだ。
とかく日本人は周囲の状況を見て行動する傾向が強い。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というが、あまり考えず他人に合わせて物事を判断する場合が多い。こうした同調行動がとれる日本人の特性は災害時や緊急時にも暴動や略奪が起きず、慌てず従順に行動できるメリットもある。しかし、自分の意見を押し殺して周囲に合わせるだけでは困る。相手の意見を尊重しがら、自分の意思を伝えることもビジネスにおいては必要である。
そんな背景もあり、最近の社員研修では、コーチングやアサーションなどコミュニケーションスキル研修が人気だそうである。アサーション(assertion)とは相手の意見を尊重しながら自分の意思を伝えるスキル。特に上司と部下の「1on1ミーティング」やシニア層が若手社員を指導する場合などにも使われているようだ。
丑年にちなんで、新たな局面を迎え着実な一歩を踏み出したい。周囲との同調から協調へ、アサーションも『十牛図』も今必要な自由な精神を求めている。