三恭金属株式会社は、創業84年という伝統と歴史を持つ企業。建設機械、オートバイ、スチール家具・物置用の多様な部品の製造を行いながら、企画・設計から金型製作、鋳造、加工、組立まで一貫体制で顧客からの信頼を集めてきた。ただ昨今の建設機械やオートバイの電動化を考えると事業の将来性に対する不安要素も多い。より一層の技術・品質の向上により、他分野への進出を視野に入れながら、グローバル展開も進める必要がある。
寺澤社長の悩みは、愛知県にありながら自動車関連の仕事をしていないことだった。現在の事業内容のうち、オートバイ部品関連の監査は比較的に厳しい方だが、とはいえ自動車部品ほど高い水準を求められているわけではない。そうした環境が、普段から業務改善に対する意識を欠如させていた。
「各々がそれぞれのやり方で作業をしている状況だった。この悪循環を解消しなければ」
もともと自動車産業の出身である寺澤社長にとって、標準作業などの会話も通じない状況は隔靴掻痒の思いだった。
「最初、4Sができていない作業標準がないところでショックを受けた。自分で改善を試みたが、従業員も教育を受けたことがない。プロジェクトメンバーで改善活動をしようとしても、主旨の理解に相違がある」
当初は自分が中心となり、社内で改善活動を実施したいと考えていたが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。社長になって1年が経過し、だんだん社内の環境になれてくる自分自身にも危機感を感じていたという。
そのころテクノ経営のセミナーに参加する機会がありコンサルタントが語ったボトムアップ改善の重要性や若手リーダー育成の考え方に共感。工場診断を通じてコンサルティングの導入を検討しはじめた。
それでもコンサルティング導入については悩まれたという。会社として未知の経験だったからである。
「果たしてついて来られるだろうかという危惧があった。核となる専任リーダーを設けてやっていかないと上手くいかないとコンサルタントからも言われていた」
社内に専任リーダーとなる人材がいるのだろうか、活動に関する理解が得られるのか、メンバーが付いてこれるのかといったことも心配だった。
納期遅れはダメ、できるだけ残業もしないという風潮の中でコンサルティングを導入しプロジェクト活動をやるということに少し抵抗感があった。社内にはやらされ感を持った人と一体何をやるのだろうという好奇心を持った人がいたという。
「コンサルという第三者が私に代わってアドバイスをする。きっと外部から言う方が、インパクトがあるだろうと思った」
ずっといるプロパーの人は長年のやり方が身についてしまっている。変えることの必要性をあまり感じていない彼らをどう参加させるかという問題もあった。
「みんな真面目なのだが、少し変えて改善をやってみようという自発性がなく、『それは指示ですか』という言葉が返ってくる」
若手の育成が大事だというコンサルタントの言葉が、若手採用によりバランスよく組織を整えるきっかけとなった。専任リーダーには、中途入社の若手社員を抜擢。最初は心配もあったが、今ではフットワーク軽く活躍しているという。
ただそこに至るまでが大変だった。業務改善、生産性向上の意味が理解されないなか、4Sを定着させることは難しく、非常に厳しい状態だったという。
資料の整理ができていない事務所の状態もひどく、4Sが職場を良くすることにつながるという動機付けができなかった。しかしコンサル指導が始まって、改善活動への理解が進むと社員の意識が少しずつ変わり始めた。
社員に教育の機会を与えていなかったことが原因だった。これは反省すべき点だと寺澤社長は語った。
1年目はとにかく意識改革。改善して自分の職場が働きやすくなる、そういう活動なのだと理解させる。コンサルタントにも「あっそういうことなのか」とわかる、そういう意識改革を期待していた。
最初の取り組みは「なんでもいいから職場の問題点を出して」から始まった。
「活動を通じて社員との会話も活発になった。考え方を変えるスタートは切れたと思っている」
最初はあまり課題が出てこなかったが、活動の意義がわかった人からはどんどん出てくるようになってきた。あっという間にポストイットが壁一面ペタペタと貼られるようになった。
改善の必要性に気づいてもらうための意識改革が1年目の最大の課題だった。まず何も考えず毎日同じ仕事をしている状況を変え、考えることを習慣付ける。次にはこれを出してみよう、あれを出してみようと活動に弾みがついてきた。
2年目からは標準作業を中心にした改善を進めた。作業全体の中で、何がムダで何が生産性を上げているか、そもそも生産性を上げるとはどういうことなのか、などを理解して改善する。
「自分たちで分析して、改善のトライ・アンド・エラーをやる。それを期待していた」
昨年はコロナの影響もあったが、停滞することもなく活動は続いた。休業による調整が少しあったが、むしろその時にハッパをかけて活動をやってもらっていたという。
今年2月から、3年目の活動に入る。
寺澤社長自身も成果につながる指標を見つけて、皆で「よく頑張ったね」といえるゴールを想像しながら3年目の活動を迎えている状況だ。毎月の推進会議では、3年前とは見違えるほどの報告内容が出てくるようになった。
「たとえば、『モノを取るのに1秒短縮できた』『ばらした工程をつないで左右のタクトを同じようなレベルに調整した』などの報告を聞いていると、これはやっぱりやっておくべきだなとつくづく思っている」
3年間の活動を通じた成長、次には目に見える成果を求めながら続いていく。社内には様々な課題がある。製造現場もそうだが、仕組みづくりや開発から立ち上げまでの業務プロセスなど、100年企業を目指して、新たな目標をハードル高く設定してやっていきたいとのことであった。