コラム/海外レポート

2022.08.26

タイ式個人主義

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執筆者:

本田 和樹

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私とタイとの縁は大学時代から始まった。もともと世界史が好きだったこともあり、アジア史に興味を持ち大学でアジア史学専攻に進んだことがきっかけだった。そこで教授に「どこかアジアの国を1つ選びなさい」と言われ、日本と親交が深く、仏教にも興味があった私はなんとなく知っていたタイを選んだ。その流れでタイ語を学ぶことになり、今となっては交換留学1年、前職駐在4年、現職でも駐在5年目となり合計9年以上の付き合いだ。

 このタイ生活の期間で様々な経験をしてきたが、私が特に興味深く感じるのはタイ人の他人との距離感である。大学の交換留学時代などは、学生4万人いる中で日本人学生は私1名だけだったため、必然的にタイ人社会に入り込む必要があったわけだが、タイ語が話せない私に対しても多くのタイ人が声をかけてくれ、遊びに誘ってくれ、生活を助けてくれた。またタイ社会に住んで、もう一つ魅力に感じたのは、他人の目を気にしないストレスフリーな雰囲気だった。別にそれまで日本で窮屈に感じていたわけではなかったが、タイに来てはじめて日本の同調圧力の強さに改めて気づかされたというのが正しいかもしれない。

しかし、自分なりに自由に伸び伸び(サバーイで)タイ生活を送る中で、少しの違和感もあった。言葉にするのは難しいが、何か周りのタイ人から本気では興味・関心を持たれていないような、期待されず、構ってもらえていないような、一種の人の冷たさに触れた感覚。タイは微笑みの国といわれるように、人懐っこくて寛容で、多くのことがマイペンライ(問題ない、大丈夫)な社会であるが、それが凄く、どこか表面的な付き合いであって、貴方は貴方、私は私と言われているような、お互いの深い部分には踏み込まない一種の距離感(個人主義)を感じる。その部分でいうと日本人は見た目にも言葉のうえでも厳しく、頑固で、タイ人に比べて愛想がよくないかもしれないが、相手のことを本気で考え、興味を持ち、厚かましいほどに周りと付き合っていると感じる。それをお節介と感じるも優しさと感じるも人によってであるが、タイ人の価値観とはやはり異なる。

 このような私が感じる少しの違和感(タイ式個人主義)はどこから生まれるのかと考えると、おそらく宗教の違いだろうと思う。よく日本とタイは同じ仏教だから気が合うと言われるが、合う中にも違いはもちろんある。もともと日本のような「大乗仏教」は、大衆の中に入り、教えを広め、多くの人を救っていくなかで悟りを開くことを目的としているが、タイの仏教のような「上座部仏教」は、基本的に自己完結的で、個人が修行し、悟りを開くことを目的としている。近年タイの仏教もだいぶ大乗仏教に影響を受けているように感じるが、もともとの根底が違う分、長年かけてその土地に根付いた価値観も違う。どちらが良い悪いというものではないし、それこそ人に依るだろうが、人付き合いでも仕事でも恋愛でも相手を理解することはとても大事である。タイで上手に暮らすなら、このような価値観があることも知っておいてきっと損はないだろう。