紀元前4000年ごろのメソポタミアで始まったといわれている鋳造。ものづくりの歴史で最も古い技術のひとつとされており、銅や青銅を利用した器物や武器、装飾品を作っていたと考えられている。現代では、何万個という大量生産はもちろん、鉄、鋼、銅合金、アルミ合金、チタン合金など、原料となる金属も多岐にわたり、自動車や家電製品、スマートフォンといった、私たちの生活を支えるさまざまな製品を造り出す上で欠かせない技術となっている。
1946年に創業した株式会社ニノミヤは、日本国内で圧倒的な鋳物生産量を誇る愛知県に工場を構え、これまで80年近い歴史を刻んできた。創業者である祖父の時代には地元だけではなく関東圏にも販路をひろげ、2代目となる父親の代を経て、現在は3世代目の3兄弟が経営の手腕を振るい、長年培ってきた信頼と実績を受け継ぎながら成長を続けている。
3世代目に事業承継された後、厳しい価格競争の中で自社製品に付加価値を生み出し、新たに目標管理の経営へと舵を切りながら、将来性のある事業へと変革させてきた同社。事業を推進していくうちに、中間管理職をはじめとした人材育成に大きな課題を感じ、これまでの方法から脱却する必要に迫られていた中で、こうした状況を打破し、更なる成長へと加速させるべく導入された活動について、代表取締役社長 二宮 英樹 氏、専務取締役 工場長 二宮慎二 氏からお話を伺った。
(※2024年 ASAP+ 4号より)
日本で最も鋳物産業が盛んな愛知県
3 0 0年以上の歴史を誇る平坂町で創業
御社の歴史や事業内容についてお聞かせください
二宮 英樹氏:
1946年に愛知県西尾市平坂町で祖父が創業しました。平坂町は全国的にも鋳物の工場が集まっている場所で、古くは300年以上の歴史を誇ります。もともとは、たくさんの鋳物師を輩出していた滋賀県の辻村(現在の栗東市付近)という集落から御鋳物師を2人呼び寄せて西尾の鋳物作りが始まったといわれていますが、なかでも平坂は、一級河川である矢作川の河口付近に位置し、その川の砂が鋳物に向いていたことと、鉄の塊である鋳物製品を運搬するために必要な港があったため、鋳造地として選ばれたそうです。当時は海運が主な物流の手段で、平坂港は三河木綿の一大出荷基地となっており、こうした歴史的な背景のある町で祖父が自宅の横に工場を設置し、事業を始めました。
創業当初は、水中ポンプや止水用のバルブなどの水道部品を製造していましたが、地元で消費される製品はすでに先発の企業様が製造していましたので、販路を地元から関東圏に求めて、鉄道輸送で製品を運搬していたと聞いています。2代目となる父の時代には、モータリゼーションが進展し、自動車部品も多く手掛けていくようになり、また工場周辺の宅地化が進み、公害等の問題もあったため、現在の場所へ移転してきました。
3代目となる私たちが入社した時は、ちょうど2000年前後、バブルが弾けて、超円高の時代に突入した頃でした。日本から仕事が外に出ていくという感じで、世界全体にもグローバル化が進み、手掛けていた自動車関連の部品は非常に激しい価格競争にさらされ、収益的にもだいぶ厳しい状況に陥りました。そういった中で私たち3兄弟が入社し、経営を引き継いだのですが、仕事も少なくなりつつある時期で、付加価値が取りづらくて仕事もなければ、当然経営的には非常に厳しくなるため、将来性のある事業に転換していかなければならず、さまざまな外部の力をお借りして会社の体制を見直していきました。
どのような体制に転換していかれたのでしょうか
二宮 英樹氏:
2003年頃からだったと記憶していますが、目標管理の経営に変えていく形でスタートしました。まずは人事制度を見直そうということで、社長以下、役員をはじめ、仕事の定義を明確化し、その内容をもとにした人事や賞与などの評価制度にシフトさせました。営業面では、ABC分析や同業のベンチマーキングなどを用いながら、収益の出ているものと出ていないものに分類し、将来性、つまり収益の高いものに特化して、営業の改革や生産体制の合理化にも取り組みました。
また、アウトソーシングという言葉が出始めた頃で、たまたまチャンスがあり、他社で非常に苦戦していた部品作りを新しい仕事として受注しました。非常に難しく、だれもやりたがらないような仕事でしたが、その分、単価が高いこともあり、引き受けることにしました。我々が引き受ける前には、頻繁に不具合が出て、発注元から呼び出されることが多かったそうなのですが、私たちが引き受けてからは一度も呼び出されることはありませんでした。その成功をふまえ、他の部品にもひろがっていきました。また、得意先から品質優良賞をいただき、私たちのものづくりに対する力を評価いただくことにつながりました。
事業環境はいかがでしょうか
二宮 英樹氏:
1つの転機となった複雑な部品作りの受注でしたが、その時に製造していたものがオートマチックトランスミッションに油を供給するためのポンプと、ターボチャージャーの部品でした。当時、日本製のオートマチックトランスミッションは非常に品質が良く、世界中にどんどん拡大しており、当社も特に積極的な営業をせずとも、仕事は入ってくる状態が続いていました。
ターボチャージャーは、こちらも非常に製造が難しい部品で、日本でも対応できる会社は限られている部品でした。海外ではハイブリッドへの対抗手段として、ダウンサイジングターボが急速に発展し、国内より需要が高まっている状況で、せっかく身につけた技術、ノウハウでしたので、ISOやIATFなども取得し、積極的に海外メーカーなどへ拡販していきました。ヨーロッパや東南アジアではAT車の普及がだいたい半分程度でしたので、まだブルーオーシャンが広がっており、すごく将来性の高いビジネスになりました。
現在は少し潮目が変わってきて、ヨーロッパではディーゼル車の不正やカーボンニュートラルなどもあり、自動車はEV化へのシフトが加速しています。主要なマーケットがあった中国では、日本車もドイツ車も締め出され、東南アジアでも徐々に日本車のシェアが落ちています。もともとEV車はエンジン車より部品数が少なく、また汎用化が進むことで1次下請け以下の仕事は限定されていくため、未来にむけた新たな計画を進めているような状況です。
独自の強みはどういった部分にありますか
二宮 慎二氏: 過酷な鋳造現場での作業負担の軽減や再現性の高い品質を保つために機械化を進めています。鋳型の中に溶かした鉄を流し込んで製品を作るという工程上、どうしても品質にばらつきが出ます。そのため、電気炉などを導入し、流し込む鉄の温度といったあらゆるものをデータ化~管理するなど、できることから一つずつ手掛けています。手前味噌ですが、こうした改革を積極的に取り入れているところが自社の強みになっていると考えています。
二宮 英樹氏:
例えば、2000年の3月9日に作ったAという製品は1キロ何秒のスピードで鉄を流し込んだかまでデータが残っており、機械から毎日検出されるデータを全てサーバーで集約し、品質改善や生産性の向上に役立てています。こうした取り組みは、私たちのような鋳造の事業体で実施している会社は非常に少ないのではと思います。製造だけではなく、品質管理では、検査工程での不具合データのリアルタイム収集による製造条件へのフィードバックや在庫管理では自動倉庫等の仕掛品を含めた在庫低減にデータを活用。こうした改善にデータ活用を行っています。
また、目標管理の仕組みから3年間の事業計画を策定しています。めざす姿を設定し、1年ごとに積み上げていきますが、この目標に対してどういう結果になっているのか、毎日、毎週、全部署で、私たち役員も参加し、全員で情報を共有しています。これらを可能にするためには、月次決算の精度であり、毎月の原材料~仕掛品~完成品の棚卸し等の工数のかかる作業が欠かせません。こうした作業を毎月継続するためにも、データ活用による棚卸し工数低減が必要となっています。目標に対する進捗を全社員と共有し、年度の目標利益が達成できれば、社員に再配分しますので、社員一人ひとりのモチベーション向上にも効果があるかと思います。
働く環境や設備などはいかがでしょうか
二宮 英樹氏: 社屋や工場の建て替えの際には、女性が働きやすい職場というのも意識して、さまざまなものを取り入れました。例えば、工場の2階部分では断熱材などの内装を加え、大型の空調装置を入れて、快適な気温の中で作業ができるようにしています。その他にも、建物自体を禁煙にしたり、女性の休憩するエリアを食堂内で確保したり、可能なかぎり配慮しました。あとはセキュリティ面ですね。当時、マイナンバー制が導入されたということもあり、機密保持の観点からも、施設の入り口から部屋ごとに静脈認証システムを導入し、すべての開錠データを記録しています。女性専用の更衣室・休憩室・シャワールームには、登録した女性しか入室できない様になっていますので、安心して利用してもらっているのではないかなと思います。
二宮 慎二 氏(左) 二宮 英樹 氏(右)
中間管理職を含めた人材育成に課題
弊社のコンサルティングを導入する前に、どのような課題をお持ちだったのでしょうか
二宮 英樹氏: 目標管理の経営自体は当初から自分たちで運営していましたが、なかなか人が育っていかない。特に中間管理職の育成が大きな課題となっていました。能力、資質のある人材を年齢関係なく登用していましたが、管理職として優秀かどうかというのは、その後の教育や経験、また本人の成長によっても変わると思います。作業者として優秀だった人材でも、なかなか管理職としては力が発揮できていないというのを感じていました。
二宮 慎二氏: 目標管理を始めた時に、役員以下、各ポジションにおける役割を明文化していたつもりですが、なかなかそれが伝わらない。あるいは伝わっているかもしれないけれど、行動が見えてこないというのがコンサルティングをお願いする一番初めのきっかけだったと思います。
自分たちに足りない部分は外部の力を借りるべきと判断
コンサルティング導入の決め手はいかがでしょうか
二宮 英樹氏: 私は経営者ではありますが、人を育てることを専門にしているわけではなく、これまでも自分の経験の中から取り組んできましたが、やはり人材育成というのは、きちんと教育を受けた専門の方に実施いただいた方が効率的ですし、見て覚えろといった時代ではありませんので、外部から吸収した方が良いのではという話になりました。そうした中、テクノ経営さんのセミナーを常務が受講し、本人も人材育成がなかなかうまくいかない、自分の思いが伝わっていないということで、セミナーの内容は非常に響くものがあったそうです。他にも外部のアドバイザーは活用していますが、テクノ経営さんは製造に強く、やはり一番難しい部分をお願いできればという話になりました。続けてお願いしている中で、中間管理層やチームリーダー、若手など、私たちが指導するよりかは、格段にモチベーションが上がっていると思います。
自社の現状をいち早く理解してもらうことや管理職に仕事を任す難しさに直面
コンサルティングを導入された後はいかがでしたか
二宮 英樹氏: 私たちよりも、手島さんがすごく苦労されたと思いますよ。さまざまなことをお願いする中で有効に活躍いただきたいですし、効果を早く出したいと考えていましたので、私たちが感じている現状や内部の実態などを早く理解して欲しいと思っていました。活動を進めていく中で、指導を受ける社員の側には、言われたことを自分はしっかりやっているという思いがあります。我々としては、言われたことを自分がやるだけでなく、方針を理解し、部下を巻き込んで展開して欲しいという思いがあり、手島さんも間に挟まれてすごく大変だったと思います。中間管理職の役割としては、自分ではなく、部下にしてもらうべき業務というのがあり、それこそがマネジメントになるのですが、そういった階層別にやるべき仕事を理解させるというところが難しく、手島さんにもその実態を分かっていただくのに時間がかかり、ここが一番苦労した点だと思いますね。
二宮 慎二氏: 製造した製品の不具合というのはゼロではありませんので、任せたい気持ちはあるけれど、損失を最小限に抑えるため、スピーディーに対処しなければならない場面もあります。こうした時に、やはり経験しなければ人は育ちませんから、任せなければいけないと思う反面、どこまで任せるべきなのかと迷いが生じてしまいます。そのさじ加減が非常に難しく、場合によってはすぐに手を打たないといけない事象がありますので、その取捨選択が難しいと日々感じています。
意識と行動が変化した中間管理層社員のモチベーション向上を実感
コンサルティング導入の成果をどのように実感されていますか
二宮 英樹氏: 全部署における管理指標などの数値に関し、毎週会議を行っています。最終的には会社の売上と経常利益が目標値になりますが、それを達成するための生産指標や品質、そういった指標は全て年間で設定しており、当然月次でも数字を負うことになります。その数字に対して、どのように責任を果たしたのか、指標に対する成果と良くない成果だった場合にはどのように対策をするのかといった打ち合わせを行いますが、ミドルクラスのマネージャーが一番嫌な会議だと思います。ただ、今はもう自分たちが負うべき数字を理解し、それを背負って毎週の会議に出席し、必ず手ぶらでは来なくなりましたし、それぞれの部門の責任者たちでまわすようになりつつあります。そこは大きな成果につながっていると感じますし、究極は私たち役員が出席しなくてもいいような状況まで高めていきたいと思っています。
二宮 慎二氏: 現場の、特にリーダーになっていただいている方というのは技能が優れているので役職になっている方が多く、職場のマネジメントという部分では私たちも教育をしっかりとできずにいました。そのため、なぜ役職者なのに部下の面倒を見ないのか、2Sや5Sが行き届いていなければ、なぜ自分事として対応しないのかといった思いを強く感じていました。そうした中で今回の活動が開始し、まずは自分事にしてもらうための気づき改善を実施しました。以前までは「設備のここが壊れている」とだけ指摘することが多かったのですが、まずは自分たちでできることを改善テーマに継続することで、自我が芽生え、自分事として考えられるように成長したと実感しています。会社全体で集まって成果発表をする場面では、胸を張って発表してくれるようになり、気持ちの面でも非常にモチベーションが向上しているのを感じ、コンサルティングを導入して良かったと思っています。
次代への承継を見据え、更なる成長と新しい領域へチャレンジしていく
今後の課題や目標をお聞かせください
二宮 英樹氏: 2024年10月から、また新たな3年の事業計画が始まります。これまでの自動車関連での売上はもちろん、それ以外の分野を倍増していこうということで、新たな設備投資などに取り組んでいきます。安定して恒久的に働ける職場を築いていくということは、私たち第3世代がやらなければいけないことで、兄弟でも話をしていますが、次の世代へ引き継ぐには生産設備だけ買えばいいということではありませんから。やはり、そこには人材も必要ですし、新しいお客様を創出していくことも必要です。その中で次世代に託す部分と、私たちがやるべきことをきちんと線引きして、これからの3年間でその準備を行い、新しい世代の社長が来た時にはすぐ活躍できるようなインフラを構築する、それが今一番やらなければいけない仕事と捉えて、進めています。
STAFF COLUMN ~Survive the Change~
変化の激しい現代を生き抜く
代表取締役社長 二宮 英樹氏: 情報収集において、インターネットや新聞、テレビでは知り得ない情報をいかにしてお客様や他の経営者の方々から得るか、ここがやはりトップマネジメントというか自分がやらなければいけない一番大きな部分だと思います。また、自分たちがやりたいと思った時にアクセルを踏める状態、つまり金融機関やお客様のトップとのコミュニケーションをいかにうまく行うのか。そのために必要なものとして、私たちが何を考え、どういう方向を向いているのかといったものを決算書として発信していますので、こうしたバックアップ体制と本当のリアルな情報を入手すること、そこはすごく、変化が激しいからこそ、特に重要だと考えています。あとは、従業員の話を聴くという力、これをもっと身につけなければいけない。あるいは、従業員たちの成長を少し待つ、見守るということですね。社員とのコミュニケーションは本当に大切ですので、こうした部分は必要なことだと感じています。
専務取締役 工場長 二宮 慎二氏: どのような状況になっても、やはり働いていただける社員の皆さんがいて、はじめて会社が成り立つと思います。階層教育など、現在はいろいろな取り組みにチャレンジしていますが、働いていて「この会社にいて良かった」「今の仕事にやりがいを感じる」など、そういった声が聞こえるような職場づくりをめざしていきたいですね。そのためには、厳しいことや責任を負う上で辛いこともあるとは思いますが、やはり達成した時のやりがいというのは、中間管理層やリーダーだけではなく、現場の作業員の方にも感じていただきたい。シニアのパートで勤務いただいている方や海外の方もいますので、そういった皆さん一人ひとりが自分のやるべきことや責任、そしてやりがいが生み出せるように、所属している意義を感じられるように、そんな職場づくりをめざしていく、それが一番大事ではないかなと思います。
左から
専務取締役 工場長 二宮 慎二 氏
代表取締役社長 二宮 英樹 氏
常務取締役 営業部長 二宮 暁彦 氏
取材にご協力いただいた方
株式会社ニノミヤ
代表取締役社長 二宮 英樹 氏
専務取締役 工場長 二宮 慎二 氏
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【コンサルティング事例】 ニノミヤ様