経営コンサルタントとして、モノ作りの内側と外側の両面に携わり、十数年が過ぎた。
この間には企業の根底を揺るがすほどの危機を最大のチャンスとし、見事に烈風を乗り越えた多くの企業があるが、どの企業においても現在ほど混沌と先行きの予測できない時代はないだろう。市場の成熟と飽和、物の過剰。中国に拠点を置くモノ作り戦略。地球環境・企業倫理・地域への貢献。時代の流れの速さと環境の変化は全くとどまることを知らない、気配すらも見せない。
企業ではこの変化に適応していくために持ち得る全ての手段を講じ、然るべきフレームワークの中で活動し、過去からの常識や伝統や習慣を、また時にはこれまでのタブーにさえ手をつけ、新しい価値観を生み出そうとしている。逆に言えば、その必死の努力こそ、新しい価値観の生まれる夜明け前とも表現できる。どうか企業内に、より良くしていきたいという経営の思いを共鳴させて頂きたいと思う。
我々の仕事は企業改革を実践することである。気付きを与え、変化点と変化量を見極め、方向性と手段を示唆し、文字通り率先垂範していく。組織のパラダイムに捉われていては出来ない分野であり、時にはクライアント企業内部からの抵抗もある。企業を憂う気持ち、誰よりも熱いまなざしと情熱を漲らせてこそ、大きく変えていくことができる。これはコンサルタントの使命だ。
改革の前に改善がある
下記の図は企業と顧客の意識・対応のギャップをモデル化したものである。ここには一つのテーゼがある。「なぜ我々はかなり乖離した今にしか、気付かないのか?」である。
曰く、これまでは0.5ミリの異物対応に躍起になっていたが、顧客の要求水準は0.2ミリであった。
曰く、リードタイムは15日を基準としていたが、突然5日での計画を余儀なくされた、などである。
企業活動を取り巻く環境や経営の前提条件は決して不変では無い。政治経済を中心としたマクロ的動向、市場や業界を中心としたミクロ的動向などが自社にどうインパクトを与えるのか。経営の基盤が、操業の根底が変化しようとしている時代にどう対応していくのか。組織の中で同質の議論をしていても埒が明かない、ギャップは大きく乖離してしまった、既にタイミングを遅きに失してしまった、今こそ改革が必要だ!と、季節はずれのタイフーンの如く、十分な備えの無いままに改革の緊急性が高まっていく。
少々シニカルな言い方をお許し願うならば、「今こそ改革が必要だ」、「改革無くしては我が社の存続は危うい」を声高に叫ばなければならないという事態はあまり褒められたことではないかもしれない。その瞬間にいたるまでには小さな変化はあったはずである。決して経営だけの問題ではない。各部門それぞれの職位・階層の役割において日々の業務を遂行していく中で、その小さな変化に気付き改善をする、もしくは顕在化・明確化し、組織で共有していく。変化を感じ取った時点で直ちに行動する、継続的かつ着実な、努力を推し進めていれば乖離の幅は最小限に食い止められたはずだ。(弊社では転ばぬ先の杖改善ともいう)
とは言え規模を問わず、いくつかのクライアント企業においては、今こそ改革を果たさねばならないことは事実である。勿論、情熱的に冷静に科学的に進めていくが、クライアント企業には数値成果の達成と共に、取り組みを通じて2つの事を提供していきたい。
一.見識の高さがスピードを伴わない結果を招いていないか?
一.「なぜ」と考える習慣を失っていないか?
の2つである。
C改善は可能性の改善
「あのコンサルタントはナゼ?突然に雑談を始めたのか」、「この課題を検討する際にナゼ?席順を変更したのか」。むむむ、ここまで推進リーダーが凝り始めたら全くもって素晴らしい。秀逸である。逆にそこまで手の内を読まれるようになったら…。 やり難いのも事実だが…。
VPMにはC改善がある。ご承知の通り、Change&Controlを以って意識を変える職場を変えると弁ならしめる、発生問題解決型のアプローチである。「なぜ」と考えることは我々コンサルタントの習慣術でもあるが、多くの企業において、そこの実情に合わせてC改善として展開させて頂いている。簡単に申し上げるなら次の通りである。文字通り全員参加・参画で行なう。
我武者羅に只ただ働くことは、もしかしたら100%尊いとは言えないかもしれない。多くの人が考えながら、気付きながら働くことこそ、今の時代では尊いと言えるのかもしれない。何故ならば、工場の中には問題が一杯あるから。微欠陥も含め気付かねばならない変化(差異)が一杯あるから。環境が変化していく中で“日常”と“非日常”の区別認識を全ての人が可能としなければいけないから、である。
現場から提起された問題を検討していく上で、まずは直截的な原因と対策が浮かび上がってくる。そこで検討・追及の手を緩めては、絶対に、絶対にいけない。問題を多面的に捉えて更にナゼ?ナゼ?と遡っていくことが肝要である。実際には必死の努力である。
追及の先には単なる可能性の確認に過ぎないこともある、仕組みの確認に終わることもある。しかしそれもC改善の過程の重要な要件だ。C改善を厳しくも丁寧に進めてきた結果は明快だ。組織の中に気付きが醸成される。管理・監督者は環境が変化したことにより発生する差異を迅速に捉え、最新のマネージメントに更新する習慣を得る。開始期に些細な問題から進めるC改善は、時に経営の批判を浴びる不遇の時代を経て、レベルアップしていく。継続的な努力の結果、1件1件がまさしくお金を生み出し始める、機会損失を確実に防止していく。…私は、その事実をクライアント企業の隅々で目の当たりにしてきたのだ。
「私の悪い予感はあたる」と人は言うが
状況変化を看破し、圧迫してくるだろうまだ見えぬ阻害要因を弾き飛ばすために期首に計画を立てる。得るはずの活動成果を頼りに経営ビジョンを描き方針を展開する。多くのクライアント企業でご一緒させて頂いたシーンを思い出す。経営のみならず各組織の中でテーマ設定し、個人目標も策定し、推進していく姿は、ある種の美しさを感じる。残念ながら船出は順調であったが突然、烈風に吹きさらされることも多い。環境変化は想像以上の曲者であり、手厳しいのである。
「このままでは当初の期待数値は未達となってしまう」
「まずい、在庫が陳腐化する可能性が高くなってしまった」
悪い予感は当たることの方が多い。その部署でその職位で年数を重ねる程、当たる確度は高まるのが常であると思う。最終的には「私の悪い予感は百発百中で当たる。外れたためしが無い」とまで豪語できるまでになる。何故、悪い予感は当たりやすいのだろうか。
それは経験則が活かされているからだ。これまでの業務の中で対応してきた幾十幾百の事柄を知らぬうちに区分化・パターン化し直面した現実に照らし合わせて、結果の洞察が可能であるからだ。このことは経験やマネージメントの一つの到達点ではあるものの、着地点であってはいけないのは当然である。
現場、管理監督者、また経営層は是非とも差異をなぜなぜ?と追求し、直截原因の解決のみならず可能性をも確認し、日々の改善活動の中で経験則を積んで頂きたいと切望する。もしかするとそれは単なる架空の経験則かもしれない、バーチャルな体験にしか過ぎないかもしれない。洞察力が発想力と感受性と経験から構成されているならば、何故何故の探検により実際の経験を待たねばならなかった年月を瞬時に飛び越えて頂きたいと思う。
悪い予感が当たるままではいけない。原因を明確にして対策を取る、仕組みを変える。あるいはどうすればその予感を良い予想に変えられるかを真剣に論じ、手立てを講じて先手を打っていきたいのだ。
レベルアップしたC改善の果たす役割は“問題の未然防止”である。全員参加で和気藹々と進めながら、いつの間にか気付きと考働習慣を鍛え、成り行き結果主義を否定し、心の持ち様を変えて「どっこいしょ!」と悪い予感を良い結果へ、ドラスチィックに変えていくことが醍醐味である。創業者のみならず、その企業に参集している多くの方々も持っている“ Never Give Up!”を現実で実際に具現してこそ、活動の意義がある。
もう一つの要件から
C改善にはもう一つ、役割認識・役割追求を果たすという要件がある。ここに過去のクライアント企業でのエピソードがある。全国チェーン展開をしているその企業で、ある推進リーダーが、
「なぜ?なぜ?を繰り返していると辛くなります」
「どうしてですか?」
「原因を遡ると行き着く先の多くは、私(リーダー)に来るからです」
見事である。よくぞそこまで深堀りをしたものだと思う。
そしてそういう管理者の下で働くことのできる従業員の幸せは、もはや疑いようが無いのである。
昨日、訪問した別のクライアント企業の、3期目活動発表会での工場長様のコメントを紹介させて頂く。
その彼らが作り出す製品は国内外の生命の最前線で、今もその使命を果たしている。