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株式会社リンレイ 様

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皆の想いを叶え、理想の生産拠点を実現するために
100年企業をめざした、新工場リニューアルプロジェクト!!

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 一般的に「常温で個体、加熱すると液体となる有機物」と定義されているワックス(Wax)。日本語では蝋ろうといわれ、融点の高い油脂状の物質(ワックスエステル)のことを指す。室内の床やフローリング、家具、自動車のボディーなどの保護や艶出しに用いられるほか、摩擦を軽減するものとしてスキーやスノーボードの滑走面に塗られたり、ヘアワックスと呼ばれる整髪料の一種として髪型のセットに使われたり、その用途はさまざまなものが挙げられる。
 株式会社リンレイは、1944年(昭和19年)に東日本特殊塗装剤工業株式会社として企業合同による日本唯一のワックスメーカーとして創立された。戦後間もない時代には、進駐軍の住宅や建物で使用されていたワックスについて、処方の開示を受けて大量受注~生産するなど、これまで業界のパイオニアとして成長を遂げてきた。「快適な居住空間をクリエイトする」という理念のもと、ワックス・コーティングの認識を広め、創立以来75年以上にわたり培ってきた技術は、家庭やオフィスをはじめ、病院、空港、鉄道、ショッピングモールなど、幅広い領域で活用されている。
 現在、製造を一手に担う秦野工場は築50 年以上となり、老朽化が問題視されていたものの、なかなかインフラ整備に着手することができなかった。そんな中、100年企業をめざして発足したR100プロジェクトで、ようやく生産拠点の強化として注目を集めることになり、新工場リニューアルへ向けて一歩を踏み出した同社。皆の想いを叶え、理想の生産拠点へと生まれ変わるべく導入された取り組みをケーススタディとして紹介する。

昭和19 年創立、パイオニアとして業界を牽引

 神奈川県北西部から山梨・静岡の両県にまたがる丹沢山地。神奈川県内で唯一の日本百名山に数えられ、首都圏からのアクセスもよく、日帰りで丹沢登山を楽しむ人も多い。
 この丹沢山地のふもとにひろがる秦野市は名水の町としても知られ、豊富な地下水を利用した工業地域としても発展している。そんな秦野に工場を構えるのが株式会社リンレイだ。企業合同による日本唯一のワックスメーカーとして1944 年(昭和19年)に創立された同社は、7 5年以上の歴史を誇り、古くは戦後間もない時代にGHQからの大量注文に応え、業界のパイオニアとしてこれまでワックス・コーティングの認識を世間に広げてきた。「創立当初は塗料などをメインに製造・販売しておりましたが、戦争が終わり、進駐軍の住宅や建物に塗るワックスが足りないということでその処方の開示を受けて、大量のワックスを製造して納めていました。このことを発端に、現在の事業へと成長してきています」
 そう話すのは、執行役員 生産本部長 秦野工場長の塩野 耕造氏だ。その後、朝鮮戦争の勃発によるアメリカ軍からの特需によって日本経済は戦後不況を脱し、ビル建設ブームが巻き起こる。こうした時代背景から、1952年(昭和27年)頃には新市場を開拓し、ビルメンテナンス事業を創設したという。「今では当たり前になったビルメンテナンス業ですが、当時はまったく世の中にない事業でしたので、パイオニア的に日本国内へ広めていく役割も担っていました。1964年(昭和39 年)頃にはマイカーブームの到来により、自動車製品の事業を拡大し、ビルメンテナンスとカーワックス関連を2つの柱として展開していました。
 1977 年(昭和52 年)にはワックスの代名詞となる樹脂ワックス『all』の販売が開始され、徐々に家庭用向けの製品も増えていきました。そんな中、10年ほど前にビルメンテナンスの厳しい現場で培ったノウハウを結集した住宅用強力洗剤のウルトラハードシリーズが発売され、お陰様で大ヒットし、非常にご好評いただいております。このように時代の変化に合わせて、さまざまな事業を展開し、少しずつ事業の中身も変わっていきながら、製造にも取り組んでいる状況です」

執行役員 生産本部長 秦野工場長
塩野 耕造 氏

企画開発から物流までの一貫した対応と真面目な社風が強み

 株式会社リンレイは、企画開発から生産、販売、物流まで、すべての工程を一貫して自社で対応している。そのため、安全な製品作りやお客様の要望にそったモノづくり、先進的な製品開発の実現へとつながっている。また、投資はあくまで本業にのみ行い、原則自己資金による健全な投資(無借金経営)を守り続けている。「製品や技術はもちろん、奇をてらわず、愚直にやっていくような社風です。本業で稼ぐことを基本に、余計な投資などは一切行っておりません。ですので、バブル経済の時代には、その恩恵はあまり受けられませんでしたが、代わりにバブルが崩壊した後にも大きなダメージは被っていません。今はなかなか難しい時代ですので、多少の上がり下がりはあっても、あえてチャレンジしていく必要はありますけれども、開発や製造、営業やその他どの部署も、みんな真面目に取り組んでいます。そういう部分は当社の強みになるのかもしれません」と、塩野氏。こうした堅実な姿勢でこれまでの時代を乗りこえてきたという。

新たに発足されたR100プロジェクトとようやく目を向けられた生産拠点の強化

 これまで75年以上にわたり業界を牽引してきた同社。現在、その製造を一手に担っている秦野工場は、1970年(昭和45年)の竣工以来、5 0年以上が経過しており、老朽化も進んでいる。以前からさまざまな対策案を打ち出すものの、経営状況等もあり、実現できていなかった。そんな状況の中、100年存続する企業をめざして3年程前に発足したR100プロジェクトで、他の部門から生産拠点の強化が必要だという声が上がり始めたという。
 「今年、弊社は80周年を迎えたのですが、あと20年経過して100周年の時に、しっかりと今以上の会社へと存続させることを目的に立ち上がったのがR100というプロジェクトです。各部署からメンバーを集め、人材育成という視点も持ちながら、皆でこれからのリンレイを考えていく、支えていく活動に取り組んでいます。その中で、他の部署のメンバーから『工場は大丈夫なのか?』という声が上がり始めました。これまでは他部署からそういった話を聞いたことが無かったので、少し驚きました。我々としては、やはり工場を刷新していかなければならないので、会社に打診するものの、なかなか受け入れてもらえませんでした。今回、このR100プロジェクトの中で非常に大きな声が上がったことに対して、会社としてもようやく工場のリニューアルに向けてゴーサインを出してくれました」と、塩野氏。特にR100プロジェクトでは、これからの時代を担うミドル層のメンバーを中心に構成されており、その中から声が上がったことが大きな影響を与えたという。こうして、ようやく50年以上経過した工場のリニューアルへ向けて舵が切られた形となった。

千載一遇のチャンス、しかしどこから手をつけてよいかわからない状態に

 コンサルティングの導入前から工場の老朽化が大きな課題となっていた同社。工場内の各部門においても、同様に感じていて、今回のリニューアルについては、その他の問題も含めた、大きな変革のチャンスと捉えている。
 「非常に歴史のある工場でありながら、なかなか投資をしてもらえていないということを感じていました。私は外からきた人間ということもあり、前職との違いは当然意識しますが、やはり最終的には似たような流れになると思っていました。そうした中で、今回の新工場へのリニューアル、また同時にその実現に向けたコンサルティングの導入を通じて、良い方向に向かい、有益な活動にできればいいと思っていました」と話すのは、管理課 課長の勝間田 健氏。また、生産本部長付生産技術課担当 兼 マーケティング本部 製品開発グループ 課長の旭 孝啓氏からは、「このプロジェクトが始まる前から考えていたことも、始まってから考えていること、実施していることも、あまり変わりはないというか。そもそも、老朽化といったインフラの問題をはじめ、仕組みや運用など多くの問題がありました。そうした問題をなかなか変えていけない、あるいはどうしても物事の進みが遅い、進まない、逆行するといったようなことに対して、唯一にして最大の機会、千載一遇のチャンスかなと感じています」と、今回の活動に期待する声も。
 しかし、実際にリニューアルへ向けて動き出そうとしても、どのように進めていくべきなのか、まったく見当がつかなかったという。「R100プロジェクトが発足し、1期生として参加しました。その中で生産拠点の強化に関する計画が立ち上がり、今後どういった活動で工場をリニューアルしていくのかという検討を進めていました。とは言いつつも、実際にはどこから手を付けてよいのか、まったくわからないような手探りの状況でした」と、製造課 マネージャー 内田 賢史氏が当時の困惑を話してくれた。また、今回のプロジェクトリーダーを務める生産技術課マネージャー 加藤 正幸氏は「私は3 期生としてR100プロジェクトに参加しました。内田と同様に、どうやってリニューアルを進めていくべきなのか、何もわからない状況でしたが、そんな時に清水さんの『老朽化国内工場の再構築』というセミナーの案内を見つけて、塩野とともに講演を聴かせていただきました。まさにという内容でしたので、次の日の日誌で大絶賛したら、同じく賛同いただいて。そこからのお付き合いになります」と、コンサルティング導入に至ったきっかけを話していただいた。こうして、まずは、現在の工場を見てもらおうということで、テクノ経営が実施している1日工場診断を依頼することとなった。

あらゆる厳しい指摘を受けつつも、逆にありがたいと感じた1日工場診断

 例えばISOの現地審査など、どうしても現場の視察となると、身構えたり取り繕ったりすることがあるため、今回の1日工場診断では、「ありのままでやってほしい」ということを事前に強く現場へ依頼したとのこと。そうした中で行われた診断とその報告では、とても厳しい指摘ばかりだったという。内田氏は「清水さんから、これまでに診断した工場の中で、5 本の指に入るくらい汚い現場だといわれたことが非常に衝撃的でした」と、当時を振り返った印象を話してくれた。ウルトラハードシリーズなどの大ヒットにより、現場はさながら戦場のように必死で製造に対応していた結果だと思われる。老朽化はもちろん、現場環境、作業、効率、物流など、あらゆる方面からの検討が必要な状況だった。塩野氏は「ありのまますぎて、とにかくコテンパンに指摘いただいた記憶しかないですね……。ただ、それが逆に非常にありがたかったですし、一緒にやっていただこうと思ったきっかけにもなり、大変感謝しております。清水さんに『事業の伸びに工場がついていけていない』という指摘をいただきました。その言葉がすごく印象的で、まさに自分たちの状況を一言で言い当てていただいたなと思いました。その当時も今も、例えば会社でテクノ経営さんと契約したいとプレゼンした時も、メンバーに話をする時も、その言葉を使わせてもらっています」

問題の洗い出しや認識のすり合わせに時間がかかった導入当初

 実際にコンサルティングが始まると、まずは今ある問題をすべて出し尽くすところから取り組んだという。新工場を待たずして取り組める問題も多く、それを解決せずに工場や建屋が新しくなったとしても、結局は後戻りするだけだからだ。「新工場に向けてリニューアルする前に、全員参加で問題の洗い出しを実施しました。その中で、今すぐできるものからすぐに始めなさいというご指導をいただき、メンバーの中で担当を割り振り、期限もしっかりと決めた上で活動を進めています。やはり、現状の問題を解決してからでないと、リニューアルはできないのだなと実感しています」と、内田氏。
 また、活動当初は指導してもらう理想像と現実との乖離があり、そこを相互に理解してすり合わせていくのに時間がかかったという。「私どもの運営、運用というのが、この現代においては、あまりに煩雑で……。当社の特長でもあり、悪いところでもあるのですが、超変動多品種みたいな部分があり、どうしても活動当初は清水さんにご指摘いただくこと、理想像と現実との乖離がありました」と、旭氏は話す。こうして、徐々にお互いを理解しながら、活動が進行していった。

コンサルティング指導風景

活動開始から1年、徐々にメンバーの意識が変わり始めた

 コンサルティング活動の導入から約1年が経過し、徐々にその成果が見え始めている。「全員が全員ではないのですが、それでも志ある中間層もしくは若手たちの中で、だいぶ意識が変わってきたなと思える人材がけっこう出てきているという実感があります。これまで考えもしなかった理想像や一度諦めたことに再トライするだとか、新しいことにチャレンジするなど、明らかに変化しています。自然発生的な形で何人かの有志で動き出したような件もあり、そういった意味ではこのプロジェクトがなければ動かなかったと思いますし、とても良い傾向だなと思います」と、旭氏。現場の製造を預かる内田氏も「例えば5S 活動など、これまで繁忙を理由に停止することが非常に多かったのですが、なぜそうなってしまうのかという原因を各部署の責任者が考え、今度は活動を止めずに進められるような仕組みを作っていこうという動きに変化しています。グループのリーダーや直属の部下くらいまでは目線はだいぶ合ってきたかなと感じています」と、やはり人の変化を実感しているという。塩野氏は「工場の外身だけではなく、中身をどう改革していくのか。清水さんはこの部分にもすごく力を入れていただいており、それがメインでプロジェクトに関わっているメンバーにはだいぶ浸透してきているのかなと思います。特にそれぞれの職場の長や管理職、そういうメンバーの集まりでは『新しい工場ができるまでの間に、我々の今までの文化を変えていこう』というふうに伝えていますが、特に細かく言及しなくても全員が同じ感覚で同じことを想像できている、それがこの1年間の成果かなと感じています」と、自分たちの理想とする生産拠点の実現に向けて、着実に歩みを進めていることを実感しているようだった。

さまざまな想いを込めて続く新工場リニューアルにむけた活動

 新工場へのリニューアルという最終目標の実現には、まだまだ長い道のりが必要だが、皆の想いを込めた生産拠点へと生まれ変わるべく続いていく同社のプロジェクト。最後に、それぞれの目標や抱負を伺った。「この取り組みは全従業員で達成しなければ意味がないと感じています。方針やルール、このプロジェクトへの想いなど、いかにしてリーダー以外の従業員全てにしっかりと浸透させていくか。これが今後の成功のカギになると思います」と内田氏。リニューアルプランを担当する加藤氏は「メインは設備担当ですので、いかにして使い勝手のいい工場にするのか。現状は古いコンセプトで造られた工場のため、通路も狭いですし高さも全然足りていない。こういった部分の改善や効率よく製造できるラインの構築、また従業員だけではなく、外から来られる配送業者様とか、そういう方にとっても優しい工場にしたいと考えています」と、さまざまな想いをのせたレイアウトの構築を進めていくようだ。
 事務局として定例会議の段取りや連絡を行う勝間田氏は「今回のプロジェクトは新工場のリニューアル計画を作るということですので、まずは実現可能な計画となるようサポートしていきたいですね。それともう1 つ、現場に対してはこういうプロジェクトを通して、実際にいろいろと改善できるんだというものを見せていきたいと思っています」と話す。システム的なインフラや社内の仕組み、運用について、さまざまな形でプロジェクトを支える旭氏は「どうしても長年、良くも悪くも培ってきてしまった文化や歴史、仕組み、運用など、自分たちの努力だけでは変えていけないものを、この新工場リニューアルプロジェクトを通じて変えていきたい。デジタルやITというものを持ち込み、解決できなかったことを解決していく、それを変わらず続けていきたいと思います」と、少し道のりは遠いものの理想の実現へ向けた想いを話していただいた。工場長の塩野氏からは「これまでの文化を変えてしっかりと進化させ、そしてみんなで創り上げた新工場へとリニューアルし、より良いものを造っていくというのが最終目標となりますので、それをブレずにやり遂げていきたいと思います」と、活動へ向けた熱い想いをお聞きした。
 まだ見ぬ困難な壁や課題が今後も立ちはだかるだろう。しかし、そんな問題もさらなる成長への糧にして、新工場リニューアルへ向けた同社の活動は進んでいく。

取材にご協力いただいた方

株式会社リンレイ
執行役員 生産本部長 秦野工場長 塩野 耕造 氏
生産本部長付 生産技術課担当 兼 マーケティング本部 製品開発グループ 課長 旭 孝啓 氏
管理課 課長 勝間田 健 氏
生産技術課 マネージャー 加藤 正幸 氏
製造課 マネージャー 内田 賢史 氏



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